この人に聞きたい:第3回(週刊水産タイムス:05/05/09号)農水産業は生命維持産業〜日本の危機救うのはクジラ以外にない〜
農水産業こそ生命維持産業なのだ。21世紀に食料を持たない国は外交面で必ず弱くなる。こんな日本を救うとしたなら、それはクジラをおいてほかにない。もともと国際捕鯨委員会(IWC)はクジラを獲って利用するための会だったはず。にもかかわらず科学的な調査に基づいた提案に従えないというのはどういうことか。 国連食料農業機関(FAO)はクジラを獲って利用すべきだと勧告している。このままクジラだけを保護し続けていけば、海の生態系が壊れるだけではなく、クジラにとってもおかしなことになる。 南氷洋には79万頭のミンククジラが生息している。日本近海にも20万頭と推定される。新潟から佐渡島に渡るとき、シートベルトの着用を促されるが、これは増えすぎたクジラが時として船に衝突するためだ。アルゼンチンでは原子力潜水艦に当たるといった事件も起きている。 米国が日本の捕鯨に反対するのは牛肉が豊富にあるからだけではない。環境保護団体にとって「クジラ」を持ち出せは容易に活動資金が集まったからというのがほかならぬ理由である。資金調達の上で、クジラほど手っ取り早いキャンペーンはなく、言ってみればクジラが国益に貢献してきたのである。 日本に対し声高に捕鯨反対を唱える一方、米国は豊富なミンククジラと対照的に資源枯渇が懸念されるホッキョククジラを獲っている。日本に対して「1頭たりともクジラを獲らせない」というのなら、ホッキョククジラは間違っても獲ってはいけない鯨種である。このダブルスタンダード(二重基準)は、どう考えても納得いかない。 クジラの食文化を子供たちに伝えていくことも我々の責任である。文明は民族を越えるものだが、文化はその民族が育て、伝えてきたものだ。 例えば言語。英国とフランスが海底トンネルでつながっているほど距離的に近くても、パリの真ん中で英語は通用しない。食文化も当然異なる。 文化は民族によって形成されるものだ。だから日本人が文化を放棄したら、もはや日本民族ではなくなる。しかもクジラは日本人が昨日や今日食べ始めたわけではない。かつて欧米はクジラを獲って、油だけを利用し、後は捨てていた。日本人は骨や髭に至るまで、大切に利用してきた。供養塔を作り、クジラに感謝してきた。相容れない考えの国がIWCで一緒にやっていること自体に無理がある。 日本人の食に対する畏敬の念は「いただきます」という言葉に表れている。肉であれ、魚であれ、野菜であれ、コメであれ、もともとは全て生命である。「いただきます」は「あなたの命をいただきます」という意味。この食に対する考え方は世界に誇っていい。 戦後の日本人は魚を食べなくなってきた。クジラは生物学的に哺乳類に分類されるが、栄養学的に見れば魚類だと思う。低カロリー、高タンパクな健康食品だ。イワシやサンマと同じ不飽和脂肪酸である。 食べ物がその民族の将来を決定する。日本人は鯨食に対応するDNAを持つ。牛肉や豚肉ばかりを食べてアレルギーに悩む子供がいっぱいいる。クジラを食べるとアレルギーも治る。日本民族が食生活のベースにしてきた(1)海藻(2)根菜(レンコンやゴボウなど)(3)魚、クジラ(4)豆類――は健康生活の源だ。 日本人の食が欧米化し、輸入食品が増えた。天ぷらソバも特に「国産ソバ粉」を名乗らない限り、大半は中国かカナダ産。衣の小麦粉は米国産、エビはベトナム産、ネギは中国産など。原料は99%輸入ものだ。 日本の食料自給率は4割を切った。米国は127%、ドイツも101%、フランス137%、豪州は実に324%である。日本は食べ物を獲る人、作る人が激減している。医者は1年間に6700人誕生するが、農業は5000人を割る。 農水産業こそ生命維持産業なのだ。21世紀に食料を持たない国は外交面で必ず弱くなる。赤ちゃんの数も少なくなり、この国はどうなるのか不安な気持ちになる。
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