●かき養殖の桃浦 復興へ再開水産特区が本格始動
水産特区はこれまで漁協(漁業者)しか持てなかった漁業権を民間企業に開放するというもの。それにより、企業の資本・技術などを活用することができる。被災地の漁業の早期復興に向けたひとつの手段として発案された。 宮城県石巻市桃浦のかき生産者15人は、この水産特区を復興への手段として選んだ。 かき養殖で支えられていた桃浦地区は、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた。65軒あった家屋はほとんどが津波で流失し、残ったのは4軒のみ。建築制限で新しい住居を建てることもできない上に、仮設住宅を建てる高台もないため、15人を含めた地域住民は、石巻市街など別の地域で暮らしている。 漁業者主体の合同会社を設立 桃浦のかき養殖業者15人の平均年齢は62歳。壊滅的な被害を受けて、そのほとんどはかき養殖業の再開をあきらめていた。復興に向けた国や県の補助制度はあるが、ゼロからの再開となるため資金面での負担が大きくなる。それに加えて、後継者問題や魚価低迷、コスト上昇など、震災以前から続く厳しい経営環境は何ら変わっていないのが現実だ。 しかし、彼らは生まれ育った桃浦への強い愛着を捨てきれず、かき養殖の再開を決意した。「桃浦の村落を復興させるにはかき養殖が不可欠。水産特区という新しい制度で、何とか桃浦を活性化できないか」と、民間企業の力を借りることができる水産特区の道を選択した。 パートナーとして仙台水産(宮城県仙台市、島貫文好会長)が名乗りを上げて、2012年8月に「桃浦かき生産者合同会社」を設立。漁業者が450万円(30万円×15人)、仙台水産が440万円を出資し、漁業者が決定権を有する漁業者主体の会社として船出した。 しかし、県知事が提唱した水産特区には反対の声も多く、大きな議論を呼んだ。 人材確保が最大の課題 昨年9月、正式に認可が下りて同社が漁業権を取得。本格的にかきの養殖事業が動き出した。10月15日から今シーズンの出荷を開始。現在は、生がきのむき身を仙台水産グループの加工会社でパッキングし、宮城県内の量販店中心に販売している。 経営支援はもちろん、商品開発、販路開拓など仙台水産グループの全面的なバックアップを受けている。 「漁業者だけの会社では、円滑で持続的な企業運営は難しい」と大山さんは言う。 1月末には現在建設中の最新鋭の加工場が竣工し、2月から稼働する予定。同工場ではプロトン凍結機を使った冷凍カキやスチームコンベンションを使ったボイルかき、かきフライなど最新技術を駆使した様々な加工製品を生産し、年間を通じておいしいかき製品を供給する方針。ISO22000の取得も予定している。 大山さんは「後継者となる人材の確保が最も大きな課題。今までのように夢と希望がなければ、誰も漁業者になろうとは思わない。今の会社はやる気さえあれば社長にもなれるし、経営にたずさわることもできる」と語る。 15人は合同会社の社員としてかき養殖を行っている。設備投資などは会社が行うため、個人の負担はなくなり、毎月の収入も安定している。漁業者が所有していた5隻の漁船も会社が買い上げた。 若い世代に新たな集落作ってほしい 現在、社員は20人に増えた。新入社員5人(20〜60代)のうち、4人(事務員1人)は異業種からの新規就業者。 昨年11月に入社した仙台出身の南谷竜さん(43歳)は以前から漁師になりたくて受け入れ先を探していたが、良い機会に恵まれなかったという。桃浦の話を聞き、すぐに飛んできた。 大山氏は「生産量をもっと増やし、安定した収益を上げる会社に一刻も早く成長させたい。桃浦で生活できる基盤を構築して、若い世代に新しい集落を再び作ってもらいたい」と願う。 同社11月に震災で残った1軒家を買い取り、社員寮として利用している。現在は大山さんと新人の南谷さんが暮らしている。 |
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