この人に聞きたい:第286回
(週刊冷食タイムス:11/04/12号)
震災で「地産地消」難しく
富士産業(株)代表取締役社長 中村 勝彦氏
(なかむら・かつひこ)平成11年専務取締役、15年ニッショク取締役副社長、21年富士産業副社長、22年6月から現職。千葉県出身。昭和41年2月生まれ、45歳。
冷凍食品採用の余地広がる
介護・福祉、学校、会社等の給食を全国2千カ所で受託する富士産業。不測事態に備えてきた結果、今回の震災で実力を発揮。被災地で出来たての食事を提供した。震災時の動きや今後の懸案等を中村社長に聞いた。
――大量の食材を仕入れ、扱う立場として、震災後の不安は。
中村 東京電力の福島原子力発電所の事故に伴う風評被害です。当社はあくまで、政府の見解に従って冷静に仕入れを継続しますが、ユーザーの反応が気になります。納入食材に安全証明を付けても懸念を示す方もいます。天洋食品事件から「地産地消」の動きが広がっていますが、今後はそれも難しい面が出てくるでしょう。冷凍食品の採用の余地は広がると思います。
――食材の仕入れは関連会社のニッショクが担っている。
中村 ニッショク会のメンバーの方々には今回の震災にあたり、数多くのご支援をいただきました。会員企業の目配り、気配りに心から感謝しております。
――被災地でも出来立ての食事を提供し続けていると聞いた。
中村 車輌コンテナ内部に厨房を設備したトラック「キッチンカー」を宮城県石巻市の避難場所、仙台市や茨城県大洗町の被災した福祉施設にそれぞれ派遣し、一部継続中です。キッチンカーは別称「移動調理システム」。スチームコンベクションオーブンやコンロ、立体炊飯器、冷蔵庫、給湯器、手洗いシンク等を備え、通常の厨房と同様の設備となっています。
――電気やガス、水道は。
中村 自動発電機やガスボンベ、貯水タンクも搭載しており、ライフラインが止まったままの被災地域でも自己完結的に厨房として機能します。キッチンカー1台で、調理1回あたり300食分の食事が提供可能です。石巻市の避難場所では2万食以上を無償で提供しました。食材等の調達は現地関係者、ニッショク会の会員等のご支援で賄うことが出来ました。
――キッチンカーを発案したきっかけは?
中村 16年前の阪神淡路大震災です。当時、経営トップに状況報告をする立場にあった私は、得意先の消失やライフライン寸断などを目の当たりにしました。災害により給食施設が使用できない場合の備えが必要と痛感し、移動型厨房の構想に至りました。
――具体化したのはいつ。
中村 2005年です。現在、計2台を配備しています。昨年には「調理車両」として特許を取得しました。通常時も仮設厨房として全国で活躍しています。
――被災地の支援活動は経営上の負担も大きいのでは。
中村 当社の企業理念は「喫食者の身内のつもりになった食事サービスの提供」です。全国の当社従業員が今回、被災地に泊り込んで無償活動を行ないました。その結果、従業員同士の結束が従来以上に強くなっているのが感じられます。被災地で得たものは大きいと今、実感しています。得たものを風化させないよう今後も、従業員一堂心がけます。